音大のギター科ってどんなところ?卒業生が語る。

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こんにちは、Angler Ogiです。

当ブログを3月4日に立ち上げて、はや7カ月。先日、一つの目標としていた数値を達成することが出来ました。

そこで今回は、レッスン系でもハウツー系でもなく、私個人の経験談を書いてみようと思い立ちました。

私が卒業した大阪音楽大学のギター科(ジャズ・ポピュラー科ギターコース)がどんなところだったのか、ということを、当時の自分目線/卒業生目線で書いていこうと思います。

今回は前編となる、私が音大に入学する前~入学後。

中編の記事では、実際に音大で受講したレッスン内容や、カリキュラムについて書いています。

↓今回の記事はこんな内容です↓

  • 何故私は大阪音楽大学に進学したのか??詳しく書いています。
  • 大阪音楽大学のポピュラー科/ギター科はどんなところだったのか?当時の私目線で語ります。
  • 将来音楽の道に進もうとしている方の参考になれば幸いです。

大阪音楽大学に入学したきっかけ

元々、釣り好きが高じて魚類生態学者を目指していた私Ogiですが、子供のころから病弱

通常カリキュラムの高校では通えない為にフリースクールに進学しました。

通常受験はせずに1年間浪人を選択、予備校に通いましたが、苦手科目であった数学がどうしても克服できず、秋頃に挫折。

そんな折、母から「姉と同じ音大(大阪音楽大学)に行ってみる気はないか?」と声をかけられたのです。

当時は趣味として続けていたギターですが、元々クラシックピアノを8年続けていたため耳には自信があった私Ogi。

ギター歴1年を超えるころから、 ひたすら耳コピをしてコード弾きをこなしつつ、ギター歴1年半頃から押尾コータロー氏にどっぷりハマり、こちらも耳コピして楽しんでいました。

余談ですが、

  • 姫路リバーシティにあるシマムラ楽器で試奏していた時に、店の外にまで人だかりができ、即席ライブ(みたいなもの)を行った事がある
  • 友達とカラオケを楽しんでいたら、部屋の外に見ず知らずの数人がやってきた後、中に入ってきて突然「ポルノグラフィティの曲を歌って聴かせてくれ!」とリクエストされた

このような経験があったことが、入学前の私の密かな自慢(?)でした。

オープンキャンパスで師匠と出会い、人生が激変

当時の僕は、音大に行く=音楽を生業とする、という事にイマイチピンとこず、かつ自分が音大に入れるレベルではない、という事で、決断を渋っていました。

しかし、自分の進路が心配になってきた頃にオープンキャンパス(レッスン体験受講)の締め切り日が迫り、母と姉の説得で渋々応募。

12月末に音大に行く事になり、そこで師匠と出会いました。

Ogi
Ogi

余談ですが、10月に予備校の友達と草バスケを楽しんでいた際に右手中指を骨折(かなり重度で全治4か月)していた私は、オープンキャンパスも受験も、右手中指にギプスを付けた異様な風体で挑むことになります。

オープンキャンパスで、

「もし3年間僕についてこれたなら、音楽で飯を食えるようにしてやる自信がある。どうするかは君次第。なんとなくやけど、長い付き合いになりそうな気がする。(苦笑)」

と言うお話を師匠から聞き、そこからは師匠のようになりたい一心で、無我夢中で練習。

一般試験で見事合格を勝ち取り、晴れて音大生となりました。

当時の大音ポピュラーギター科は2年制の短大しかなく、もう少し学びたい場合は、短大専攻科(院のようなところ)で1年追加できるという、Maxで3年というシステムでした。)

大阪音楽大学の入試はどんな内容だった?

大阪音楽大学(以下、大音)の当時(2000年代)のギター科(ジャズ・ポピュラー科/ポピュラーギター専攻)の実技試験(入試)は、以下のような内容でした。

  • 基礎奏法を5項目、カラオケ(マイナスワンと呼ぶ)に合わせて演奏する。
  • 課題曲、「キャプテンカリブ」のメロ部とアドリブ部を演奏する。

基礎項目の5項目は本当に簡単な(だと思える)内容で、

「本当にこれが音大の試験課題なのか??」

と思うほどのもの。

内容は、ブリッジミュート・3連符のスケール(スローテンポ)・アコギのコード弾き・カッティングフレーズ・アルペジオフレーズで、どれもシンプルなものばかり。

Ogi
Ogi

後に知ることになるのですが、簡単なフレーズを(運指まで含めて)完璧に弾くことは本当に難しい為、実はとても理に適った内容だったのです。

しかし、そんなに甘くはありませんでした。

エレキの難題曲をアコギで叩く・・・。

Captain Caribe – Lee Ritenour

課題曲のキャプテンカリブは、当時の私が初めて聴く、全く新しいサウンド。

J-Popと昔の邦楽、洋楽のロック、ビートルズとカーペンターズぐらいしか聴いた事が無かった私は、オープンキャンパスで(後の)師匠に相談。

これまでアドリブ経験ゼロの私はどう演奏すればいいのか、と質問したところ、君のカラーを前面(全面)に出せ!という、金言を授かります。

そこで私は、オープンチューニングで演奏し、アドリブ部はタッピングハーモニクスを駆使してリズミカルなフレーズで〆る、という手法を取りました。

これには、審査員を務めておられた先生方が前代未聞だ」と爆笑の渦に・・・。

それもそのはず、そもそも大音のギター科の試験をアコギで受験したのは、過去を遡っても私の他にただ一人(後の同級生で、一番ギターが上手かったナイスガイ)。

しかもそのギタリストは、ノーマルなチューニングできちんと演奏していたとの事でした(後にドロップDチューニングでスラップを含むフレーズを弾いた事が発覚しています)。

それなのに私は、(本来)エレキ曲の試験にアコギで来るわ、右手中指にはゴツイギプスを付けてるわ、髪の毛は金メッシュで目つき悪いわ(後日の師匠談)、オープンチューニングでアコギを叩くわ・・・。

後の先生方の合否裁定で、「あいつ、おもろいから合格。ちゃんと鍛えたら面白そうや」という話が出たそうです。(苦笑)

大阪音楽大学入学後に衝撃を受ける

晴れて大音に入学できた私を待っていたのは、メンタルを試される挫折の嵐でした。

そもそもギター歴はわずか2年半、エレキギターはほんの少しかじった程度(2万円の初心者モデルのみ所有)。

当然バンド経験など無く、アドリブのアの字も知らない状態で、セッションなども当然やった事がないという状況でした。

さらに押尾奏法にハマリすぎて、1年以上ピックを持たずに全て指(爪)弾き・・・。

結果、入学直後のギター科のレクリエーション後、師匠にはこう言われました。

「ギター科は11人おるけど、君が一番ドベ(下)やな。一番下って事は、君より下はおらんから、サボっても評価はそのまま。焦らんでいい。けど、頑張ったらゴボウ抜き出来るかもしれん、面白いと思わん?」

実に厳しく、暖かい言葉でした。

事実として、自分が一番ヘタという事を、 このタイミングできちんと認識できたのは非常に大きかったように思います。

一先ず自分の立ち位置を認識した私ですが、ある時、ポピュラー科に入学したメンバーで、空き部屋でセッションをやろうぜ!という話になりました。

そこで私は、オバケレベルの2人に出会います。

ベーシスト、Park氏
【ベース】Park『Stylable』 (Official Music Video)

ベーシストのPark(パーク)氏。

同級生の中でも一人抜きんでており、彼の演奏は、当時の僕にとっては最早異次元。

何故音大にこんなレベルの人が??何故東京でデビューしておらず、この場所に??と、頭の中はハテナだらけ。

音色は勿論、ゴーストノートから感じられる独特のグルーヴ感に、フレーズを弾くときの音選びのセンスの良さ。

スラップをやる時の、弦が跳ね返ってくるニュアンスのコントロールなど、ただただ圧倒されました。

その場で「Ogiちゃんもギター弾いてや~~」と言われましたが、あまりに次元が違いすぎて全力で断ってしまったのを、今でもよく覚えています。(苦笑)

ドラマー、深川雅史氏
ドラムウォーミングアップ

ドラマーのマーシーこと深川雅史氏。

大学に入って割とすぐの頃にバス停で(チャラい雰囲気で)話しかけられて以来、10年を超える付き合いとなったマーシーですが、最初の頃にドラムを聴いたときは衝撃的でした。

強烈なグルーヴ感を感じるビート(特にハイハット)、どこまでも抜けていく爽快感のあるスネア。

ベースの音にビタビタに合わせていくバスドラに、全体を強く引っ張っていくような意思を感じるドラミング。

それでいて、常に周りを見つつ笑顔で楽しそうに叩いている姿を見て、私は心の底からこう思いました。

「入るとこ(大学)、間違えた。ムリだ、辞めようかな・・・。」

ギター科の仲間も個性的だった

私が入学した時、ギター科は11人、ドラム科は6人、ベース科は4人という構成でした。ボーカル科は40人近くいたかと思います。

11人いたギター科は、皆強烈に個性がある人達ばかり。ギター歴も多くのメンバーが4年以上で、10年弾いている人もいました。

先ほど登場したアコギ弾きのナイスガイ・もとやん(エレキもバシバシに上手かった)に、入学時既にイングヴェイの曲をフルコーラスで演奏出来ていたtuck(同郷のため仲が良かった)。

入学直前に音大にて知り合い、大学時代はバンド仲間、シアーでは同僚となったCRONO(現・姫路校講師)は、ハードロック・メタル系のフルピッキングで独自のスタイルを築いていました。

また、オールジャンルOKでスタジオミュージシャンの様な雰囲気のあったガモちゃんは、デューゼンバーグのギターで凄まじいアドリブを披露していました。

そんな中で、私が出来た事と言えば、耳を活かしての耳コピと、押尾奏法・・・ついたあだ名は「コータロー(大音のさかなクン)」・・・。

ギター科のメンツを見て、ますます大学を辞めたくなったこと。今でもはっきり覚えています。

前半のまとめ

今思い返してみると、最初は本当に大変だったなとしみじみ感じます。

こういった状況の中でも僕が生き残れたのは、自分が活躍できる場所を自分自身で見つけたからです。

次回、中編の記事では、音大の実技カリキュラムから、実際に私が行っていた練習方法などを公開しています!↓

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

後編はこちら↓

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