こんにちは、Angler Ogiです。
前回の「音大のギター科ってどんなところ?卒業生が語る。」という記事に引き続き、今回も音大(大阪音楽大学)の記事です。
前編記事がまだの方はこちらからどうぞ!↓
中編では、大阪音楽大学短期大学部ジャズ・ポピュラー科ギターコース卒業生の私が、ギター科の授業(レッスン)や練習スケジュールについて語っていきます!
今回の記事はこんな内容を語っています↓
- (前回の記事~)ギター科最低評価だった私が、いかにして卒業演奏会メンバーに選ばれたのか?
- 音大ギター科の授業とは、どんなものなのか?
- ギター科の音大生は、どのような練習を何時間くらいしているのか?
- 将来音楽の道に進もうとしている方の参考になれば幸いです。
大阪音大の授業(カリキュラム)について
前回の記事にも書きましたが、多くの同級生たちに強烈な衝撃を受けた私は、「ギターのプレイだけでは絶対に生き残れない」と強い危機感を抱きました。
幼いころから学者を目指していた私Ogiは、仮説を立てて検証するという事だけは同期の中でも特に得意だった自負があり、その特技(?)を活かして、自分が生き残る道を必死に考えたのです。
その中で、自分のスキルを上げるために必要な授業は絶対にトップクラスの成績を取る!と誓い、ギターやボーカルの練習以外にも、毎日必死に勉強していました。
大阪音大(以下、大音)で受講出来る授業(当時のもの)は、ざっと挙げると以下のようになっています。
- マンツーマン実技レッスン・・・週に1度45分間、師匠のもとでギターレッスンを受講。
- 副科実技レッスン・・・2年目から、週に1度45分間。私はボーカルを専攻。
- 音楽理論に関する授業・・・文字通りの音楽理論、ポピュラー作曲法、ソルフェージュ等。
- MIDI・・・DTM(デスクトップ・ミュージック)を学ぶ。選択制。
- バンド・パフォーマンス・・・2年目よりインストのみとボーカルありの2クラスが必須科目。
- インスト・セミナー・・・ポップス音楽史や世界の著名ミュージシャンを、映像や音源を聞きながら講義形式で学ぶ。
- クラシック音楽史・・・1年目は必須、2年目から選択。
- 一般教養・・・必須のものと選択の物があり、単位が必要な分だけ幾つかの一般科目を足す形。
専攻科(院のようなところ)に入ると、実技レッスンが週二回に増える他、コンサート・プロデュース(自分たちでコンサートを作る)等の授業が追加されました。
この中で私が注目したのが3~6番の授業。
勿論、一般教養やクラシック系の授業もそこそこの成績を取りつつ、自身の今後により大きな影響を与えるであろう授業を、死に物狂いで頑張ってみようと考えたのです。
5番のバンド・パフォーマンスについては、ちょっと特殊な形(隙間産業的手法)で重宝してもらいました。次回の記事で詳しく書く予定です。
ともあれ、勿論ギターの技術が挙がらないことには元も子もないので、レッスンをスムーズに受けられるよう、空き時間は(たとえ数分であっても)ひたすらギターを弾いていました。
実技(ギター)以外の授業に関しては次回の記事に書く予定なので、今回は皆さまが一番気になっておられるであろう、大音の実技指導レッスン(ギター)について、詳しく紹介していきます!
ギター科の実技指導レッスン
前提として、師匠のもとで行われる実技レッスンは週1回の45分だけ(当時)。形態は相方と2人で90分、という2人で受講する形態が基本です。
が、私の場合は秋頃から相方とペースが合わなくなってきたため、完全に1対1の45分のレッスンに区切ってもらいました。
大音では前期に14回、後期に14回の計28回のレッスンが受講できるのですが(当時)、全てのカリキュラムが確定しているわけではなく、可能ならばどんどん先に進めていくことが可能でした。
特に専攻科に入った後はほぼずっと自由課題だったため、ギターレッスンの中で音楽理論や作曲を教えて頂いたり、ギター以外の楽器のアプローチ法なども勉強した覚えがあります。
1年時のレッスン
1年時は、前期のセメスターのうち12回はカッティングによるリズムトレーニングのみ。
残りの3回は、前半部チェックテストが1回と、前期末にレッスン内テストが1回、という形式でした(こちらも全てカッティング課題)。
師匠曰く、
「単音弾きをやる前に徹底的にリズム感とグルーヴ感(ノリ)を鍛えておかないと、どれだけフレーズが良くても上手くなれない」
とのこと。
最初はシンプルなリズム課題ばかりだったものが、1~2カ月を過ぎるころには、
このように難易度が跳ね上がっていきます。
左のページ(課題28番)辺りまではなんとかなっていましたが、右側の課題37番、変拍子の2拍3連等は、夏休みの頭(7月末)まで持ち越してしまった記憶があります。
夏季課題はラリー・カールトンの難曲
その後、夏休み(7月末~9月半ば)の課題曲として、いきなりラリー・カールトンの「Room335」を弾いてくるように、という宿題が発表されます。
この曲のメインテーマ部をソロ手前までフルコピーしてくる (楽譜あり) 、という難題を突き付けられ、休み期間中は必死に練習したのを覚えています。
そもそもずっとアコギ弾きで、レッスンは初心者モデルの2万円のエレキギターで受け続けていた私にとって、全く弾ける気などしないレベルだったこの曲。
どう考えても演奏不可能だと思った私は、休み期間中も師匠のもとに押しかけ、レッスンとはいかないまでも、様々なヒントを頂きつつ頑張りました。
結果、休みが明けてみると、この曲に真剣に取り組んで課題をクリアしていたのは・・・なんと半分の5人だけ(私含む)。
この期間に大きく差が開き、私はある程度のレベルアップに成功したのです。
後期は様々なアーティストの曲を練習
後期に入ると、単音弾きのテクニックを学ぶためにビートルズの曲のメインメロディやソロを弾いたり、有名楽曲のリフフレーズトレーニング等も行いました。
ジョージ・ベンソンの「Breezin」という曲をコピーする際の課題は、フルでCメロ譜を書いたのちにフレーズをフルコピーというものでしたが、私はさらに自作でカラオケを制作して持っていき、練習していました。
そして、2年に入る前の冬季課題として、今度はカルロス・サンタナの「哀愁のヨーロッパ」が発表されたのです。
音源版はクリーントーンへのチェンジがあったり、最後のソロは結構な速弾き(+ワウ)となっていたり。
当時エレキギターを始めてまだ1年そこそこだった私には、相当にキツイ課題だったのをよく覚えています。
1年秋口頃から目にかけてくれていた兄弟子・ぐっさん先輩のもとへ走り、単音弾きのコツや音作りについて色々と学びつつ、時折師匠からもレッスン外で助言を頂いて、なんとかこの曲は完成までこぎつけます。
ちょうどこの頃から、(ぐっさん先輩の代打として)師匠のローディーをさせていただくようになり、様々な現場をローディーとして体験したことが、大きな財産となっていきました。
2年時のレッスン
春から迎えた2年時の授業は、殆どが実践と理論。
楽曲分析からスケーリング、アドリブトレーニング、楽曲のアレンジ法の他、初見練習もがっつりこなしていきます。
たまに、非常に難易度の高い楽曲をフルコピー&間奏でアドリブトレーニング、というレッスンが入ったりしていました。
特に面白かったのが、アール・クルーのDr.Macumba。
本来はガットギターの課題曲で、エレキギターで演奏するメンバーが多い中、私はアコギでトライ。世代トップのもとやんは、ガットギターでバシっと決めたりしていました。
その他、コードしか書かれていない楽譜を見てバッキングパターンを自分で考えたり、既に完成している楽曲にセカンドギターとして入るためのフレージングであったり。
この頃同期のメンバーは、それぞれが独自のスタイルをある程度完成に近い所までもってきており、私はセカンドギタースタイルを徹底して勉強していきます。
2年のフリー課題はエリック・ジョンソンを選択
秋頃になると、自分の好きな楽曲を自由に持ってきて演奏&練習、という授業がありました。
私は当時ハマっていたエリック・ジョンソンの「トレードマーク」という曲を選択。ここまで歪み系の曲ばかりをやっていたので、クリーントーンの曲をやってみたくなったのです。
↓こちらはオフィシャル動画↓
自分で譜面をおこし、カラオケを作成した上で挑んだこの曲により、ようやく本格的なアドリブトレーニングが出来るようになったように思います。
その他、春畑道哉氏の「Jaguar’03」にもチャレンジしましたが、この時は挫折。T-SQUAREの「Truth」等にも挑戦したりと、ようやく単音弾きが楽しく感じられるようになってきたのです。
当時は師匠に「押尾コータロー禁止令」を出されており、アコギは授業以外での使用をストップ(たまに遊びで弾き語りする程度)。
それくらい、エレキギターに真剣に打ち込め!という事だったのです。
2年終了時点では、既にある程度の楽曲なら弾けるレベルに達し、譜面を見たら1分以内に演奏スタート、という習慣も付き始めていました。
これは、実技レッスン内で師匠に指導していただいた内容は勿論、その他の授業からもスキルアップを積極的に目指し、ローディーをこなしつつ、師匠に食らいついていった結果だと思われます。
師匠が演奏しておられた曲は、全て譜面をコピーさせて頂き(これぞローディーの特権!)、ぐっさん先輩に教えてもらいながら必死で勉強していたのを思い出します。
卒業演奏会では押尾コータローを演奏
こうして上達していった私は、卒業演奏会のメインメンバーになんとか滑り込み、バンドで何曲かを演奏するチャンスを得ます。
その他、教授による講義の授業を真面目に受け続けてトップクラスの成績を叩き出したため、教授から「ソロで出番を作ってやる!」と言って頂き、
大好きな「戦場のメリークリスマス」をソロで演奏することができました。
教授曰く、完全なソロステージはポピュラー科初、さらに日本の楽曲を演奏するのもこの時が初だったそうです(当時)。
この時ばかりは「押尾コータロー禁止令」は解除されていたので、ステージを堪能することができました。
余談ですが、この時の映像を翌年の「大阪音楽大学PR用DVD」にガッツリ1分ほど使用してもらえたり、広報誌に載ったりと、あちこちに使用してもらえたのが良い思い出です。
短大専攻科の時はほぼずっと自由課題
当時のポピュラーギター科は短大の2年間のみで、もう少し学びたい人は専攻科という、短期の院のようなところに再入学という形になっていました。
私は元々3年間師匠の下で学ぶつもりだったため、予定通り3月に専攻科を受験。
先ほど登場した「Dr.Macumba」の自作カラオケ(オリジナルサイズ)を持ち込み、エレキギターで演奏して無事に合格。
専攻科入学後は、もう一人の師匠である和田先生のレッスンも始まり、より実践的な内容をお二人の先生方からたたき込まれます。
当時私が希望した授業内容は、
- 楽曲のアナライズ(コード進行、スケール、時代背景、作曲者の意図の汲み取り等)
- ひたすらアドリブを弾き続けてもらい(10分や15分)、耳コピ
- フレーズを小出しにして頂き、片っ端から耳コピ
- 苦手キーの克服(主にフラット系)
- アコギでのメロディ弾きとアドリブ
- 一発コードでのバッキングトレ(20分弾きっぱなしなど)
などなど。
セッション系に弱かった為、その部分を重点的に練習したり、当時の目標だったサウンドクリエイターになるための分析レッスン等も希望していました。
当時から師匠に言われていたのは、
「レッスンは絶対受け身になるな。時間が足りなくなってしまうくらいの量を、自分から持ってくるように。」
「もしも時間内にこなせたら、それは上達している証でもあるし、自分の力量を見誤っている証でもある。そのギリギリのラインを見極めていけ。」
レッスンだから先生に上手くしてもらえる、というスタンスではなく、自分から積極的に学びにいけ。
この金言により、時間の使い方と学び方を真剣に考えるようになってからは、上達スピードがさらに増していったように思います。
専攻科の卒業演奏会課題はスティーヴ・モーズ
この年の卒業演奏会はサンケイホール・ブリーゼでやる事になっており、好きな曲を弾かせてもらえるとの事でした。
前年に引き続き、教授直々の推薦により、押尾コータロー氏の「HARD RAIN」でソロステージを堪能!
押尾コータロー氏も実際にこのステージで演奏したHARD RAINを、まさか同じ場所で自分も演奏できるとは思っていなかったので、とても良い経験になりました。
この次にバンド演奏となるのですが、メンバーがそれぞれ自分の課題曲を披露。私が選んだのは、一番のお気に入りギタリストであるスティーヴ・モーズの「Barbary Coast」。
専攻科のメンバーはボーカル・私(ギター)・キーボード・ドラムという編成で、ベーシストがいなかったため、前編記事で登場したPark氏が客演という形でベースを弾いてくれました。
入学当初は一緒に演奏する事が畏れ多いと思っていたPark氏。結果的に同じステージで演奏するのに3年近くかかりましたが(苦笑)、これも一つの成長だと思っています。
Parkちゃん、当時はサポートありがとう!!m(_ _)m
こうして私の激動の3年間は、無事に終結したのです。
当時の私の1日のスケジュール
当時の私の1日当たりの練習時間は、大体平均5~6時間程度。
長い日は8時間~10時間程度ギターを弾いており、周囲には「練習の鬼」とよく言われていました。
最初は2万円のジオアイバニーズの初心者用ギターでしたが、1年の後期頃から中古品で37500円(リバイブギターズ価格)の Tokai/2ハムバッカーストラト(1984年製)をメインに使用。
その後、2年の冬にはオーダーメイド品である壱号機が完成し、卒業演奏会には壱号機で出演しています。
基本的な練習メニューですが、レッスン課題曲を中心に、カッティングのリズムトレーニングがメイン。
- メトロノームやドラムマシンを鳴らして、16ビートのカッティング。
- コードはフリースタイル。循環コードを使ったり、E7一発等。単音も織り交ぜる。
- 基本的にテンポ(BPM)100から始め、140まで5刻みでアップしていく。
- 1つのテンポで5分間ノンストップ。5分が終了したら1分休憩、テンポを上げて再開。
これを毎日2セット~3セットは行いつつ、時折8ビートを組み込んだり、シャッフル(8ビート3連系)やバウンス(16ビート三連系)をやってみたり。
慣れてきたら、BPM=120以上のテンポで10分や15分ノンストップのカッティングトレ(全て16ビート)を行い、右腕とリズム感を徹底的に鍛えました。
その結果、Tokaiのギターはピックガードの一部が抉れて剥げてしまったり、ナットが割れて取り換えを行ったりと、今考えれば信じられないような状況になっていたように思います。
また、最初のうちは力みもすごかった為、1弦や2弦は1カ月で30~40本切ってしまった事も。
とにかく弦代と食費(かなりの大食い)が凄くて、財布の中はいつもカツカツでした・・・。(苦笑)
この他には勿論、苦手だった単音弾きを克服すべくスケール練習に勤しんでみたり、チョーキングだけを1時間以上続けてみたりなど、練習なのか耐久テストなのか判らなくなってしまった事も・・・。
それでもその全てが楽しく、練習しているというよりは、好きなギターに噛り付いているだけという感じだったので、不思議と苦痛には感じませんでした。
↓当時の私の1日のスケジュール↓
- 朝9時に起床、身支度を整えて9:30~10:30まで練習。
- 朝ごはんを食べて自転車で大学に。11:15~12:45まで授業。
- 15分以内に昼食を終え、13:00~13:25まで練習。
- 13:45~15:15まで授業。15:15~15:25まで練習。
- 15:30~17:00まで授業。練習室を押さえ、17:15~18:45まで練習。
- 練習室を出て、サロンで先輩や同級生と生音の練習。19:00~20:30まで。
- 21:00頃帰宅して夕飯と休憩、家事。
- 22:00~翌0:00まで練習(翌日が休みの時は明け方まで)。
- ~2:00まで自由時間、その後就寝。
授業は大体1日3つ程度で組んであったので(時間は前後しますが)、このようなスケジュールが多かったように思います。
また、MIDIの授業の日は丸1日MIDIに充て、18:30に部屋を出てから20:30まで練習し、帰宅後も深夜2時頃まで練習することで時間を確保していました。
また、近所に大変お世話になった居酒屋「ろん」があり、師匠との酒の席で様々な事を教えて頂いていました。
帰宅後もその内容を反復すべく、遅い日は午前3時ごろまで練習していたように思います。
↓レッスンで練習したアーティスト一覧(一部)↓
- ロック系・・・ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、シカゴ、エアロ・スミス、ブラック・サバス、オジー・オズボーン、イーグルス、ボニー・レイット、クリーム、エリック・クラプトン、エリック・ジョンソン等
- フュージョン系・・・ラリー・カールトン、リー・リトナー、アベレージ・ホワイトバンド、チェット・アトキンス、アール・クルー、ジョージ・ベンソン、シャカタク、イエロー・ジャケッツ、ジョー・サンプル等
- ポップス系・・・ アヴリル・ラヴィーン、 ケリー・クラークソン、ボズ・スキャッグス、キャロル・キング、カーペンターズ、ドゥービー・ブラザーズ、トト、ジャクソンファイブ、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー等
- ブルース/ファンク/ソウル系・・・コーネル・デュプリー、ガッド・ギャング、 アース・ウィンド&ファイアー、 タワーオブパワー等
- ラテン系・・・カルロス・サンタナ、インコグニート、グロリア・エステファン、ジプシー・キングス、ボサ・ノヴァスタンダード系等
ざっくり考えてみただけでも、すごい数になりました。これらのアーティストの有名楽曲を1曲フルコピーしたり、リフの部分だけを片っ端から弾いていったり(基本的に耳コピで)、といったレッスンが、とても楽しかったのをよく覚えています。ちなみに単音パートができない場合は、セカンドギターを練習していました。
当時を振り返って&まとめ
激動の3年間は、本当に濃いものでした。
最初はやっていけるかどうか本当に不安でしたが、やってみればなんとかなるものです。
余談ですが、当時私は大阪の豊中に住んでいたにもかかわらず、全く遊ぶという事をしてきませんでした。
梅田周辺で知っているお店といえば、ギターショップ数件とタワレコ、ラーメン屋、ヨドバシカメラ、阪急百貨店、釣り具屋くらい。
食事と釣り以外は付き合いが悪い、とよくイジられていましたが、それほど練習に打ち込んだからこそ、今音楽が仕事になっているのだと実感できます。
勿論、要領よく単位だけ取得して卒業していく人も当然ながら存在しましたが、やはり「音楽で飯を食う」ということは本当に大変です。
ある意味、「言われたことを言われた分だけしっかりやる」事が出来ればある程度の成績は出せるかと思うのですが、最終的にセンスor努力量が物をいう授業もあったため、こればかりは何とも言えませんね・・・。
さて、後編の記事では、音大の実技以外の授業にも注目しています!こちらも是非ご覧ください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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